個人的な3.11

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今年も3.11がやってきた。

3.11が近づくと心が騒めく。

もちろん東日本大震災で亡くなられた
方々や被災された方々のことは忘れた
ことはないけれど

個人的な3.11

あの日、
地震の後実家の母に電話して互いの無
事と状況を確認。

次の日の土曜の夜は母から電話がかか
ってきて、孫に作ってあげた母の得意
料理のひとつである五目いなり寿司が
大好評だった話。
なんだかんだ普通の母と娘の会話。

次の日の日曜日の午前11時頃実家の弟
から電話。

母が脳出血で倒れたからすぐ来るよう
にと。
余震が続く中、4時間高速道路を車を
ぶっ飛ばす。
途中で何度も弟から今何処?と電話。
病院へ着くと母はまだ待っていてくれ
た。

次の日の月曜日の夕方に母は旅立って
いった。

余震が続く中の葬儀。
何もかもが怒涛のように流れていた。

あれから7年経ったけど、

寂しさはちっとも薄れない。

私も世間的にはそーとーオバサンと
言われる歳だけど

行動的で社交的でリーダーシップが
あり姉御肌だった母。

母に隠れて何でもかんでもやって貰
って育った娘はいい歳なのに、
今だに上手に魚が食べられない。

今だに途方に暮れている。

最近、
母の年齢と自分を比べる時がある。

例えば、
30代の頃の母
40代の頃の母
50代の頃の母
亡くなる頃の母

その頃の母と自分の会話。
その頃の母の生活の様子。

私から見たら母はずっとオバサンで女性
というより「お母さん」という人。

だけど自分がオバサンであり母という人
になってみると、

オバサンでも母でも一人の女性でありひ
とりの人間であり悩みやいろんな感情が
ある生き物だと知った。

知ってたけど私にとって母はやっぱり、
「お母さん」という人だった。
極めて自分本位の見方だった。

ひとりの頑張ってる女性だった母にもっ
と優しく労ってあげれば良かった。
けど
もう取り返しができない。
時間は巻き戻せない。

今日のFM東京の午後2時からの山下達郎
の番組「サンデーソングブック」で
山下達郎が

亡くなられた方々を思い、思い出すことによって彼らは生きていきます。
我々が、そうした去っていった方々の分まで一所懸命生きていかなければならないと思います。

浅はかな娘はちょっと救われた。

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